阿武隈川の徳定無堤防地区に堤防設置へ

 かねてより事業の進んでいた阿武隈川の徳定地区に広がる無堤防地区に1.1kmにわたり、令和2年度中にいよいよ堤防が完成します。また、埋蔵文化財の調査等で、今年の出水期までに堤防が間に合わないため、出水期前の6月をめどに本堤防の内側に仮堤防を築くことも合わせて発表されています(下の図をご参照ください)。

 国は、10年をかけて今回の台風第19号と同程度の雨が降っても氾濫しないよう、阿武隈川の整備を進めていく計画ですが、その水害対策に合わせて堤防整備が急速に進むこととなります。

 ただ、それにより、川幅の半分しかかかっていない安積永盛駅前線の永徳橋が、完全に河原の中に取り残されてしまう形となるため、早急な対応が必要だと考えています。永徳橋は、郡山の治水の歴史も関係して、計画8メートルのところを6メートルしか幅の無い橋が架けられており、朝夕のラッシュ時の通勤通学の車と学生たちが混然となって狭い橋を渡っている危険地帯です。それが川を渡り終えた後に堤防を乗り越えなければならないという更に危険な状態となります。

 河原で旋回していた路線バスも、堤防工事の為に旋回場所を確保できず徳定地区まで来ない状況となっています。

 これらの厳しい状況を、一刻も早く解決するため取り組んでまいります。

郡山市の治水の歴史

国土地理院の治水地形分類図(旧流路あり)を見ると、郡山市の平野部が如何に阿武隈川の流れで作られてきたかということと、郡山市が、曲がりくねった阿武隈川の川筋を真っ直ぐに整理して発展して来たことがよくわかります。

 徳定の無堤防地区も何故右岸側だけが堤防が無いのか不思議でしたが、安積町側に大きく蛇行していた阿武隈川を真っ直ぐにするために左岸側を整備したと考えるとなるほどと感じます。いずれにしても現代郡山市の発展は治水の歴史ですし、これからも治水のためのインフラ整備には全力で取り組んでいかなければならないということです。

 阿武隈という名前は「大きな隈(隈とは川の大きくカーブしているところを言う)」からきていると言うことは、安積国造神社の安藤宮司も新聞のコラムで書いておられました。先人の努力を受け継ぎ、しっかりと治水事業に取り組んで行きましょう。

 ※画像は、国土地理院のhpより

郡山市で都営バスが走ってます!

都営バスが桜通りを行く
都営バスのカラーリングのまま郡山市を走る路線バス

郡山市議会3月定例会も今日で3日目、議案調査が進んでいますが、市役所に向かう途中で東京都から譲って頂いた路線バスを見かけました。

 令和元年東日本台風と命名された台風第19号の被害により90台以上のバスが水没し70以上の路線が運休した郡山市の市民の足も、こうした各地からの救いの手で、ほぼ復旧しております。

 東京都営バスのカラーリングのままで郡山市を走るバスを見るたびに、感謝の心でいっぱいです。有難うございます。頂いたバスは元気に走ってますよ!

 今朝(2/21)は、中町夢通りの朝の清掃に参加させて頂きました。